ブルータリズムという言葉は、もともとWebデザインから生まれたものではありません。
先に存在していたのは、20世紀の建築におけるブルータリズムです。
巨大なコンクリートの建物と、巨大な文字やむき出しのようなUIを持つWebサイト。
見た目だけなら、まったく別のものに見えます。
それなのに、なぜどちらも「Brutalism」と呼ばれているのでしょうか。
今回はWebから少し離れて、建築のブルータリズムとWeb Brutalismの関係を調べてみます。
そもそも建築のブルータリズムとは

ブルータリズム建築は、第二次世界大戦後の建築を語るうえで登場する重要な潮流のひとつです。
そして「Brutalism」という名前を考えるとき、よく登場する言葉があります。
「brutal=残酷」が直接の由来ではない
Brutalismという名前を見ると、英語の「brutal=残酷な、荒々しい」を連想します。
しかし、その背景にはル・コルビュジエが使ったフランス語の**béton brut(ベトン・ブリュット/生のコンクリート、打ち放しのコンクリート)**があります。
建築批評家レイナー・バナムによって「New Brutalism」という言葉が広まり、ブルータリズムは戦後建築を代表する言葉のひとつになっていきました。
そのため、ブルータリズムを単純に「残酷で怖い建築」と理解するのは少し違います。
重要なのは、素材や構造を必要以上に覆い隠さないことです。
コンクリートを装飾で隠すのではなく、コンクリートそのものを見せる。
構造そのものが、建築の表情になる。
そこに、ブルータリズム建築の特徴を見ることができます。
「むき出し」がデザインになる
きれいな装飾を追加して完成させるのではなく、素材そのものを見せる。
この考え方は、私がWeb Brutalismを見ているときの感覚とも少し重なります。
ただし、ここで注意したいのは、建築のブルータリズムとWeb Brutalismがまったく同じ思想を持つわけではないことです。
Webサイトにはコンクリートも柱もありません。
では、Webにおける「むき出し」とは何なのでしょうか。
Web Brutalismは何を「むき出し」にしたのか

Web Brutalismでは、システムフォント、単純な色、基本的なHTML要素を思わせるUI、装飾を抑えた構成などが使われることがあります。
洗練されたWebサイトなら隠したくなるような「Webそのもの」が、表面に残されているように見えるのです。
HTMLらしさを隠さない
青いリンク。
四角いボタン。
単純な罫線。
システムフォント。
白い背景に黒い文字。
もちろん、これらを使っただけでWeb Brutalismになるわけではありません。
しかし、Web Brutalismの一部には、Webを豪華なグラフィックで覆うのではなく、ブラウザが本来持っている素朴な表情をそのままデザインとして扱う方向があります。
1990年代の初期Webを思わせるサイトが、Web Brutalismと結びつけて語られることがあるのも、このためでしょう。
Webサイトを何か別のものに見せるのではなく、「これはWebページです」と隠さずに見せる。
建築で素材が表面に現れるように、Webではその構造や基本要素が表面に出てくる。
ここには確かに似た面白さがあります。
ただし、Web Brutalismは「素のHTML」だけではない
ここがWeb Brutalismを難しくしているところです。
実際のブルータリズムWebサイトを見ていると、極端にシンプルなサイトだけではありません。
巨大なタイポグラフィ、強烈な色、画像の重なり、奇妙なスクロール、予想外のインタラクション。
むしろ、かなり作り込まれたサイトもあります。
つまり、Web Brutalism=CSSを使わないWebサイトではありません。
「raw」という言葉だけで説明しようとすると、実際のWeb Brutalismの広さから外れてしまいます。
建築とWebは、どこまで同じなのか

建築のブルータリズムとWeb Brutalismには、名前だけではない共通点を見つけることができます。
一方で、両者をそのまま対応させることもできません。
共通するのは「仕上げすぎない」感覚
コンクリートをコンクリートとして見せる建築。
Webの基本的な要素を、そのまま表面に出すWebサイト。
両者を並べたとき、私が面白いと思うのは、表面をきれいに仕上げることだけがデザインではないというところです。
粗さを消さない。
構造を隠さない。
完成された滑らかな表面にしない。
建築とWebでは使っているものがまったく違っても、「raw」という言葉が似合う理由はここにあるように思います。
WebにはWeb独自のブルータリズムがある
一方、Web Brutalismには建築には存在しないものがあります。
クリックできます。
スクロールできます。
ホバーできます。
音を出すことも、画面を動かすこともできます。
そのためWeb Brutalismは、建築の見た目をデジタル上で再現したものではありません。
Webという媒体そのものを使って、一般的なWebデザインとは異なる表現を試す方向にも広がっています。
実際、Web Brutalismについて語るデザイナーの中には、タイポグラフィや色だけでなく、Webという媒体のインタラクションの可能性を押し広げることを重視する人もいます。
ここまで来ると、コンクリート建築のデジタル版と考えるより、Web独自に発展したものとして見たほうが分かりやすそうです。
なぜWebでも「Brutalism」と呼ばれたのか

Web Brutalismという言葉が広く知られるうえで、大きな存在になったのがPascal Devilleによる「Brutalist Websites」です。
2010年代半ば、均質化していくWebデザインとは違う、荒削りでバック・トゥ・ベーシックなWebサイトの流れを、Devilleは建築のブルータリズムになぞらえました。
整いすぎたWebへの別の選択肢
Webデザインには、使いやすさや分かりやすさを高めるためのセオリーがあります。
それによって、多くのWebサイトを迷わず使えるようになりました。
一方で、一定のパターンへ収束していく側面もあります。
Web Brutalismは、その流れとは違う場所から現れました。
粗い。
極端。
シンプルすぎる。
あるいは、逆に激しすぎる。
そうしたサイトまで「Brutalist」という言葉のもとに集められてきました。
だからWeb Brutalismには、ひとつの決まった見た目がありません。
白黒で静かなサイトもあれば、色も文字も画面いっぱいに暴れているサイトもあります。
建築から名前を借りながら、Webの中で独自の広がり方をした。
私は今のところ、Web Brutalismをそう捉えるのが一番しっくりきます。
【まとめ】コンクリートがWebになったわけではない

建築のブルータリズムとWeb Brutalism。
同じ名前を持っていますが、建築様式をそのままWebへ移したものではありません。
建築では、素材や構造を隠さず見せることがブルータリズムの重要な特徴になりました。
Webでは、素朴なHTML的表現やシステムフォント、単純なUIなど、Webそのものの構造を感じさせる表現がブルータリズムと結びつくことがあります。
しかしWeb Brutalismは、そこからさらに広がりました。
巨大な文字もある。
強烈な色もある。
複雑なインタラクションもある。
だから私は、「コンクリートのようなWebサイト=ブルータリズム」ではないと思います。
建築から借りた「Brutalism」という名前が、Webという別の媒体の中で変化し、独自の表現を包む言葉になった。
そう考えると、なぜ同じブルータリズムという名前なのに、これほど違うWebサイトが存在するのかも少し分かる気がします。
そして、この「同じ名前なのに一つの見た目に収まらない」ところも、私がWeb Brutalismを見続けたくなる理由のひとつです。