Webサイトを見ていると、ときどき「好きなものを自由に見てください」という構成に出会います。
上から順番にスクロールさせるのではなく、コンテンツを並べ、見る側が興味のあるものを自分で選ぶ。
私はこういうサイトがわりと好きです。
見せる順番をサイト側に決められるより、自分で選べるほうが楽しい。
でも最近、似た構造のサイトを続けて見ていて気づきました。
自由に選べるからといって、選びたくなるとは限らない。
選択肢を用意することと、その選択肢に興味を持ってもらうことは、別なのかもしれません。
ユーザーに主導権があるサイトは気持ちいい

以前から、私は「見せられている」と感じるWebサイトがあまり得意ではありません。
長いアニメーションを待つ。
何度もスクロールする。
決められた順番ですべてのコンテンツを見る。
こうした構成では、いつの間にかサイトを見ることが作業になってしまうことがあります。
一方で、最初から複数の選択肢があり、自分の興味に合わせて見られるサイトはかなり気楽です。
全部を見なくてもいい
特に面白いのは、すべての情報を見る必要がないことです。
興味があるものだけ見る。
興味がなければ飛ばす。
もっと知りたければクリックする。
見る側に主導権があります。
Webサイトには「できるだけ多くの情報を見てもらう」という考え方もありますが、本当にすべてを見てもらう必要があるのでしょうか。
むしろ、自分で選んだ情報だからこそ、きちんと見ることもあります。
見せることより、選べること。
これもひとつのWeb体験なのだと思います。
選択肢があっても、クリックするとは限らない

ところが、同じように自由度の高いサイトでも、まったくクリックしないことがありました。
操作が難しいわけではありません。
どこをクリックできるのか分からないわけでもありません。
ただ、クリックしたいと思わなかった。
ここで「自由に見られる」と「見たくなる」は別なのだと気づきました。
自由だけでは興味は生まれない
選択肢が並んでいる。
好きなものを選べる。
これはユーザーにとって自由な状態です。
でも、その中に「これ、ちょっと見たい」と思えるものがなければ、自由はそのまま離脱する自由にもなります。
実際、あるポートフォリオサイトでは作品を自由に選べる構成になっていました。サイト自体もきれいに整理されています。
それでも私は、ひとつもクリックしませんでした。
ページ上では作品名やプロジェクトが提示され、実際に選んで詳細へ進める構成になっています。
構造が悪いというより、私にとっては選択する前の視覚的な刺激が足りなかったのだと思います。
「選べる」と「選びたい」の間には何がある?

別の日に見たサイトでも、同じように見るものを自分で選べる構造がありました。
こちらはかなり実験的でした。
少し変わった見せ方で、かわいさもあり、「これは何だろう」と触ってみたくなる。
すべてを見る必要はないのに、むしろ自分から見に行きたくなりました。
この違いはどこにあるのでしょうか。
クリックする前にも、小さな報酬が必要なのかもしれない
クリックした先に素晴らしい作品があったとしても、クリックされなければ見る側には分かりません。
だから自由に選ばせるサイトほど、選ぶ前の画面に興味のきっかけが必要なのかもしれません。
それは必ずしも派手なアニメーションではありません。
写真かもしれない。
色かもしれない。
レイアウトかもしれない。
少し変わった操作方法かもしれない。
「なんだろう」「ちょっと見たい」と思わせる、小さな違和感でもいい。
重要なのは、選択肢そのものに選びたくなる理由があることです。
自由度が高いサイトほど、サイト側から強制的に見せる力は弱くなります。
だからこそ、ユーザー自身が動きたくなる理由が必要になるのではないでしょうか。
【まとめ】自由を渡すなら、興味の入口もつくる

私はこれまで、ユーザーに主導権があるWebサイトをかなり好意的に見てきました。
好きなものだけ見られる。
全部見なくてもいい。
スクロールやクリックを強制されない。
それは今でも好きです。
ただ、今回いくつかのサイトを見て、主導権をユーザーに渡すだけでは足りないとも感じました。
選択肢があっても、選びたいと思わなければ何も起こりません。
自由に見られることと、見たくなることは違う。
だから必要なのは、
「好きなものを選んでください」と任せることと、「ちょっと見てみたい」と思える入口をつくること。
この両方なのかもしれません。
すべてを順番に見せなくてもいい。
すべてを説明しなくてもいい。
でも、自由にするなら、その自由の中からひとつを選びたくなる理由は残しておく。
これから自由度の高いWebサイトを見るときは、**「選べるか」だけではなく、「私は実際に選びたくなったか」**まで観察してみようと思います。