デザインがコンテンツより前に出た瞬間、冷める

Webサイトを見ていて、急に気持ちが冷める瞬間があります。

アニメーションがあるからではありません。

派手だからでも、個性的だからでもありません。

むしろ、強い世界観や大胆なデザインが好きだと感じることもあります。

それなのに、ときどき、

「なんで私は、これを見せられているんだろう」

と思う瞬間があります。

最近いくつかのサイトを続けて見ていて、その違和感の正体が少し見えてきました。

デザインがコンテンツを見せるために存在しているのか。

それとも、コンテンツがデザインを見せるための材料になっているのか。

この違いは、思っていた以上に大きいのかもしれません。

世界観を見るために、なぜ待つんだろう

Webサイトを開くと、まずアニメーションが始まる。

画面が動き、文字が現れ、少し待ってからようやく内容が見える。

そうしたサイトは珍しくありません。

演出自体が魅力的なら、それもひとつの体験です。

ただ最近、あるサイトを見ながら素朴な疑問が浮かびました。

私は、まだこのサイトに興味を持っていない。

それなのに、なぜ最初から世界観を体験するための時間を払っているのだろう。

興味を持つ前に、コストを要求される

これはアニメーションが長いか短いかだけの問題ではないと思います。

見る側は、サイトを開いた瞬間にはまだ、

「何のサイトなんだろう」

「自分に関係あるかな」

「面白そうならもう少し見よう」

くらいの状態です。

その段階で「まず私たちの世界観を見てください」と時間を要求されても、そこまで付き合う理由がまだありません。

演出の先に豊富なコンテンツがあるなら、待ったことが報われる場合もあります。

でも、待った先にある情報まで少なければ、演出に払った時間のほうが大きく感じてしまいます。

世界観は、興味を作るためのものでもあるはずです。

その世界観を見るために、先に興味を要求してしまったら順番が逆なのかもしれません。

おしゃれなデザインは、期待値も上げる

きれいなWebサイトを見ると、その先にも期待します。

この写真なら、どんな内容があるんだろう。

この世界観なら、どんな記事が読めるんだろう。

デザインには、コンテンツへの期待を作る力があります。

だからこそ、見た目が良ければそれで十分とは限りません。

立派な器ほど、中身を期待してしまう

最近見たWebマガジンは、とてもきれいに作られていました。

写真もレイアウトも整っていて、雑誌としての雰囲気もしっかりあります。

ところが見ていくと、まだ読めるコンテンツがかなり少ない。

すると途中から、デザインを見るよりも、

「この立派な器は、何のためにあるんだろう」

ということが気になってしまいました。

デザインが良いからこそ、その先への期待も大きくなる。

その期待にコンテンツが応えられなければ、見た目の完成度と中身の差がむしろ目立ちます。

おしゃれなデザインは、内容が薄くても成立させてくれるものではなく、コンテンツへの期待値を引き上げるものでもあるのだと思います。

作り手が見せたいものと、見る側が見たいもの

企業サイトでは、人や社風を前面に出すデザインもよく見ます。

社員の写真。

社内の雰囲気。

親しみやすいコピー。

それによって会社の人柄が伝わることもあります。

ただ、それが強くなりすぎると、ときどき内輪の盛り上がりを外から見ているような感覚になります。

「私たちはこうです」が強すぎる

もちろん、会社の個性を見せること自体が悪いわけではありません。

採用サイトなら、そこで働く人を知りたい人もいるでしょう。

問題は、その情報が誰に向けて見せられているのかだと思います。

「私たちはこんなに仲がいい」

「こんな人たちが働いている」

「こんな世界観を持っている」

作り手にとっては大切な情報でも、初めて訪れた人が同じ熱量で興味を持っているとは限りません。

Webサイトは作り手のものですが、見る時間はユーザーのものです。

だから、作り手が見せたい自分たちと、見る側が知りたいことの間には、少し距離を取る必要があるのかもしれません。

強い世界観でも、邪魔にならないサイトはある

ここまで書くと、「演出を減らして普通に情報を見せればいい」という話にも見えます。

でも、私はそうは思いません。

実際、最近見たMUSU SAUNAは写真も世界観も強く、アニメーションも使われています。それでも、見ていてまったく邪魔に感じませんでした。

むしろ次の写真を見たくなり、自然にスクロールが進みました。施設についても、サウナ、食事、宿泊、体験と内容を追っていけます。

演出がコンテンツと同じ方向を向いている

ここでは、写真を見ることと施設を知ることが分離していません。

きれいな写真を見る。

その場所に興味を持つ。

スクロールする。

次の体験や情報が出てくる。

デザインを見ることが、そのままコンテンツを見ることになっています。

だから、世界観が強くても「見せられている」と感じにくい。

アニメーションも、自分自身を見せるためにコンテンツを止めるのではなく、コンテンツを見る流れの中にあります。

つまり問題は、演出の量ではなさそうです。

デザインとコンテンツが同じ方向を向いているか。

ここが大きいのだと思います。

【まとめ】デザインは、自分を見せるためにあるのか

アニメーションも、世界観も、人物写真も、大胆なレイアウトも、それ自体が悪いわけではありません。

それによってコンテンツがもっと魅力的になることもあります。

でも、

「この演出を見てほしい」

「この世界観を感じてほしい」

「私たちはこんな会社だと知ってほしい」

という作り手側の気持ちが強くなりすぎると、見る側の目的との間にズレが生まれます。

その瞬間、デザインがコンテンツを支えるものではなく、デザイン自身を見てもらうためのものになってしまう。

私はそこに、冷めるのかもしれません。

強いデザインでもいい。

たくさん動いてもいい。

独特な世界観でもいい。

ただ、その表現によってコンテンツをもっと見たくなるのか。

それとも、コンテンツを見る前に表現そのものを鑑賞させられているのか。

これからWebサイトを見るときは、

「このデザインは、何を見せるために存在しているんだろう」

という視点でも観察してみたいと思います。

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