Webサイトを見ていると、画面いっぱいに文字を配置したデザインによく出会います。
大きな文字は目を引きます。写真を使わなくても画面に強さが生まれるし、文字そのものをグラフィックのように扱うこともできます。
私は巨大フォント自体は嫌いではありません。
むしろ、画面から大胆にはみ出していたり、ほとんど読ませる気がないくらい崩されていたりする文字を「かっこいい」と思うこともあります。
それなのに、別のサイトでは同じような巨大文字を見て、
「文字がでかすぎて読めない」
と感じる。
この違いは、単純なフォントサイズの問題ではなさそうです。
巨大な文字は、文字なのかグラフィックなのか

大きな文字を見ていて気づいたのが、私はすべての文字を同じように読もうとしているわけではないということです。
画面いっぱいに置かれ、一部が切れ、背景や写真と一体化した文字。
こうした文字は、文章というよりグラフィックとして見ています。
読ませる気がないなら、読めなくてもいい
これは少し変な話ですが、最初から読ませる気のない文字なら、読みにくくてもあまり気になりません。
巨大でもいい。
画面から切れていてもいい。
一部しか見えなくても、それが画面を構成する形として機能していれば成立します。
そこで求めているのは「素早く情報を理解すること」ではないからです。
問題になるのは、情報として読ませたい文字まで同じ扱いをしたときです。
読む必要がある文字が巨大になると、急に疲れる

見出しや商品名、サービス名など、内容を理解するために読む必要がある文字。
それが画面いっぱいまで巨大になると、一度に文字全体を捉えられないことがあります。
文字を読むために視線を大きく動かしたり、続きを見るためにスクロールしたりする。
そこで巨大文字は、インパクトではなく閲覧コストになります。
大きければ目立つ。でも、大きければ伝わるわけではない
フォントサイズを大きくすれば、視覚的な優先順位は上がります。
ただし、重要な情報を大きくすることと、画面からはみ出すほど巨大にすることは別です。
目立たせるためのサイズが、読むためのサイズを超えた瞬間、文字は情報として弱くなる。
特に画面内に強い要素がいくつもある場合は、大きな文字同士が競争を始めます。
全部が「ここを見て」と主張すると、結局どこから見ればいいのか分からなくなる。
巨大フォントが「文字の暴力」に見えるのは、単に大きいからではなく、読む側が必要とする以上の視覚的な強さを持ったときなのかもしれません。
横スクロールで文字を流すと、読む行為まで奪われる

そして、巨大フォント以上に苦手なのが、横方向へ流れていく文字です。
特に、ブルータリズム系のWebサイトでこれを見るとかなり気になります。
大胆なタイポグラフィと相性が良く見えるのかもしれません。
でも私は、ブルータリズムで文字を横に流してほしくないと思っています。
文字を読む速度くらい、自分で決めたい
静止している巨大文字なら、読むか読まないかは自分で決められます。
グラフィックとして眺めてもいいし、気になれば立ち止まって読めます。
ところが文字が勝手に横へ流れ始めると、その自由がなくなります。
読む速度をサイト側に決められる。
読み終わる前に文字が消える。
途中から読もうとすると文頭がない。
もう一度確認したければ、戻ってくるのを待たなければならない。
これは文字を大胆に見せることとは違います。
文字そのものが強いのではなく、文字の読み方までサイト側に支配されている。
私はそこに強いストレスを感じます。
巨大フォントがかっこいいサイトもある

一方で、巨大な文字を大量に使っているのに、まったく嫌ではないサイトもあります。
その違いを考えると、文字の大きさそのものよりも、役割が重要でした。
装飾として使う文字。
一瞬で認識してほしい文字。
きちんと読んでほしい文章。
それぞれが区別されています。
強い文字にも、強弱がある
巨大フォントを使うことと、すべての文字を巨大にすることは違います。
強い文字の隣に小さな文字がある。
大胆なタイポグラフィの周囲に余白がある。
読ませる文章は普通に読める。
そうした逃げ場があるから、巨大文字がより強く見えます。
全部を叫ばせるより、一部だけを叫ばせたほうが、その声はよく聞こえる。
これはフォントサイズだけではなく、Webサイト全体の情報設計にも同じことが言えそうです。
【まとめ】文字の大きさより、誰が読む行為を支配しているか

巨大フォントをたくさん見てきて、私は「大きすぎる文字が嫌い」なのだと思っていました。
でも、そうではありませんでした。
読ませる気のない文字なら、巨大でも、切れていてもいい。
文字をグラフィックとして使うなら、大胆に壊すことも表現になります。
一方で、読んでほしい情報なのに大きすぎて一度に捉えられない。スクロールしなければ全文が見えない。さらに文字そのものが横へ流れていく。
そこまでいくと、デザインの強さよりも「読みにくさ」が前に出てきます。
私が巨大フォントを「文字の暴力」と感じる境界は、サイズそのものではなく、
文字の表現が、読む人の自由を奪い始めるところ
なのかもしれません。
大きくても、読むかどうかを選べる。
止まっていて、好きな速度で読める。
必要な情報はきちんと受け取れる。
その自由が残っているなら、巨大な文字はかなり大胆でも楽しめます。
だから巨大フォントを使うときに考えたいのは、「もっと大きくしたらインパクトが出るか」ではなく、
この文字は読ませたいのか、見せたいのか。
その役割を決めることなのだと思います。