ブルータリズムは「粗さ」「暴力性」「不親切さ」と評されるデザインですが、私はそのどれもが不思議と心地よく感じます。
無骨で不完全なはずなのに、なぜか目を離せない。誰にも媚びず、好き放題に見えるのに、どこか計算された整いを感じる。
今回は、私がブルータリズムという表現に惹かれる理由を、美学・体験・情緒の三方向から言語化してみます。
ブルータリズムは「好き放題」なのに整っている

ブルータリズムはカオスや乱暴さを許容するように見えますが、その裏には明確な意図があります。無秩序ではなく、“揺らぎを設計している”点に私は強く惹かれます。
自由に暴れているのではなく“意図的に揺らしている”
ブルータリズムでは、余白や文字のズレ、要素の配置に一見すると「整っていない」瞬間が生まれます。しかしこれは単なる無視ではなく、秩序の外側に意図的に線を引く表現です。
- 余白の非対称が視線の動きをつくる
- 情報の取捨選択がサイトに“静けさ”を与える
- 構造の粗さが世界観を直接的に伝える
自由に暴れているようで、実はとても静謐で、計算された秩序を秘めています。この矛盾が私にはたまらなく魅力です。
見た瞬間「これは好きで作っている」と分かる
ブルータリズムには、制作者の温度が露骨に残ります。整えすぎず、媚びず、自分が美しいと思う形だけを置いているからです。
| 感じるポイント | その理由 |
|---|---|
| 要素が少ないのに印象が残る | 世界観の強度を最優先しているから |
| ナビが不親切 | 機能より美学が勝っている証拠 |
| クセの強いタイポや余白 | 制作者の嗜好が躊躇なく出る |
この「嗜好の露出」は、他のジャンルにはあまり見られません。私はこの誠実な露骨さに惹かれます。
不完全なのに「見る理由」があるデザイン

ブルータリズムは読みづらい場面すらありますが、それでも目が離せない魅力があります。その理由は“不完全さが情緒になる”という構造にあります。
不完全は「未熟」ではなく、意図された情緒になる
ぎこちないアニメーションや曖昧な境界線、微妙なズレ。これらの“不完全さ”は、ただの欠点にはなりません。むしろサイトに人の手の温度やざらついた息遣いを持ち込みます。
リストとして整理すると、ブルータリズムの不完全さが情緒になる理由は以下の通りです。
- 整いすぎないことで「余白」が生まれる
- わずかな違和感がサイトに生命感を与える
- 完璧ではないからこそ“美学の意図”が際立つ
私はこの“整っていないのに美しい”という状態に、深い魅力を感じています。
不親切であるほど“自分で見る理由”が生まれる
ブルータリズムサイトは「やさしくない」ことがあります。しかし、不便さは必ずしも悪ではありません。むしろ不便さによって、ユーザーは“自分で考えながら”サイトを見るようになります。
「この余白はなぜここに?」
「この配置にはどんな意図が?」
こうした問いが自然と生まれ、デザイン鑑賞が能動的な体験に変わります。私はこの体験こそブルータリズムの最大の魔力だと思っています。
ブルータリズムは“媚びない”から心に残る

ブルータリズムの最大の特徴は、誰かのためにつくっていないように見える潔さです。マーケティングやユーザビリティを計算した“正解のデザイン”とは真逆に位置します。
媚びないからこそ、世界観が純粋になる
ブルータリズムのサイトには、「採点されること」をまったく気にしていない佇まいがあります。
その結果、世界観がとてもピュアに立ち上がります。
- 説明しすぎない
- 装飾しすぎない
- わかりやすさだけを優先しない
これらは普通なら欠点ですが、ブルータリズムにおいては世界観の強度そのものになります。
“誰かがどう思うか”ではなく、“自分はこれが美しい”で成立している点に、私は深く共感します。
印象が残るのは、迎合ではなく「突き刺し」だから
優等生のデザインは、便利で見やすく、万人受けします。しかし印象には残りにくいものです。
一方ブルータリズムは、突き放すような不親切さや、情報の暴力、余白の暴力を含みつつ、ユーザーに強烈な一撃を与えます。
だから、名前も知らない海外サイトでも、一度見たら忘れません。
私はその「突き刺さる記憶」の強度に魅了され続けています。
不安になるのに“もっと見たくなる”矛盾した魅力

ブルータリズムのサイトには、説明の欠落や余白の歪み、構造の読めなさといった“不安要素”があります。
それなのに、なぜか閉じられず、むしろスクロールを続けてしまいます。この「不安と吸引力の両立」こそ、私がブルータリズムを愛する理由のひとつです。
不安は“拒絶”ではなく、世界観への招待状になる
ブルータリズムにおける不安は、ユーザーを遠ざけるものではありません。むしろ、“ここにはまだ何かあるかもしれない”という期待を生む仕掛けとして働きます。
説明が少ないからこそ、見る側の想像が動き始め、サイトの奥にある意図や物語を探したくなります。
たとえば、少し読みにくい配置や違和感のある余白も、ただの欠陥ではなく、感情をゆさぶる演出として成立します。心地よいだけのデザインでは生まれない、この独特の緊張感が、私にはとても愛おしく感じられます。
強烈な世界観が“共鳴”を生み、好きになってしまう
ブルータリズムは、とにかく世界観が強いです。要素が少なくても、情報が少なくても、一本の筋が通っているからこそ揺るがない。その世界観の強さは、ユーザーにとって“好きか嫌いか”の判断を強制します。
私はその「二者択一」のような潔さに、よく心を掴まれます。
迎合しない、説明しない、整えすぎない。
それでも美しいと信じて並べられた要素たちに、作り手の信念や偏愛がそのまま立ち上がる瞬間があります。
そしてその強い偏愛に触れることで、自分の中にも静かな共鳴が生まれます。
気づけば、「不親切なのに好き」「不安なのにまた見たい」という矛盾した感情が、心のどこかに残り続けています。
【まとめ】不安・暴力・偏愛がつくる唯一の世界観

ブルータリズムは、不安を抱かせながらも強烈に惹きつけ、説明を省きながらも世界観を突き刺してきます。不完全で不親切なのに、なぜか心に残る──その矛盾こそが、美学としての強度を持っています。
私はこれからも、この“整わない美しさ”に惹かれ続けると思います。
