ブルータリズムは本来、20世紀中頃の建築運動として広がった言葉です。しかし近年では、Webデザインやアート、映画表現にまで引用され、「未完成の美学」「露出の美」「構造の誠実さ」といった視点で語られることが増えてきました。
ブルータリズムという概念は、素材や構造のあり方にとどまらず、“世界をどう見るか”という態度そのものを含む表現へと拡張されています。
本記事では、ブルータリズムの歴史的背景から現代的解釈までを体系的に整理し、どのように文化全体の中で再定義されてきたのかを解説します。
建築運動として始まったブルータリズムの原点

ブルータリズムは1950年代に建築家アリソン&ピーター・スミッソンらが提唱した建築思想に端を発します。当初のブルータリズムは、荒々しいコンクリートの表面、構造の露出、装飾の排除といった素材の誠実さを追求する姿勢に特徴がありました。
表面の美しさではなく、内部の構造を“そのまま見せる”という勇気が、新しい倫理性として注目されていました。
béton brut(ブレトン・ブル)と素材の正直さ
ブルータリズムの語源は「生のコンクリート」を意味するbéton brutです。この素材性が重要視されたのは、建物が“何でできているか”を隠さないことが誠実である、という思想が背景にありました。
つまり、ブルータリズムの最初の段階では、**“建築は真実であるべき”**という倫理性が核となっていたのです。
装飾を排した結果生まれた“荒さの美”
表面的な飾りを取り除くと、荒い質感や未処理の跡が残ります。これらは欠点ではなく、むしろ建築の“正直な姿”として評価されました。ブルータリズムがのちに他分野へ影響を与える理由は、この**“粗さに宿る美”**に早くから注目していた点にあります。
建築からグラフィックへ──視覚表現としての拡張

1980年代以降、ブルータリズムは建築を離れ、雑誌・ポスター・ZINEなどのグラフィック領域へ広がります。この段階では、太字のタイポグラフィ、硬質なレイアウト、無彩色ベースの配色などがブルータルな印象として扱われるようになりました。
建築の倫理性というよりは、視覚的な強さとして引用される機会が増えました。
グラフィックで強調される“暴力性のある視覚”
ポスターや雑誌の表現では、あえて読みにくいレイアウトや圧の強い文字組みが使われ、観客に“攻撃的な印象”を与えるデザインが好まれました。これはブルータリズムの単なる模倣ではなく、視覚的ショックとしての引用として定着していきます。
ZINE文化がブルータル表現を後押しした理由
ZINEは個人出版であるため、不完全なレイアウトや粗い印刷がむしろ魅力として機能します。その“未完成の魅力”がブルータリズムの思想と親和性が高く、グラフィック表現の一種として広がったと言われています。
Webブルータリズムという新しい潮流

2010年代に入ると、ブルータリズムはWebデザインへ急速に広がります。ここで生まれたWebブルータリズムは、建築の思想から大きく離れつつも、露出・不親切さ・未完成感といった象徴的要素をうまく引き継いでいます。
ユーザーに優しくないUIが魅力として成立する背景
Webでは、未整形の青リンク、崩れたレイアウト、意味不明なアニメーションなどが“ブルータル”として好まれました。これはユーザー体験の観点では非効率ですが、**“デザイナーの意思を強く残す表現”**として評価されています。
Webブルータリズムが広まった社会的背景
SNSやポートフォリオ文化の普及により、“正しさよりも個性”が求められる環境が生まれました。Webブルータリズムはその潮流の中で、没個性的なテンプレートへの反発として急速に広がったとされています。
現代ブルータリズムは“美学”として再解釈されている

建築・グラフィック・Web、と領域を越えて引用される中で、ブルータリズムは素材や構造の話を超えて、“未完成の美学”として語られることが増えています。
近年の論者やクリエイターは、ブルータリズムを感情の露出・弱さの肯定・静かな暴力性といった広い概念で扱い始めています。
未完成性がもつ“強度”に注目する流れ
仕上げない、整えない、隠さないという選択は、作品に強い輪郭を生みます。こうした未完成性の美学が、現代ブルータリズムの中心として語られています。
粗さや不協和音を“意図として扱う”視点
完全性を求めないことで、粗さも作品の一部として成立します。これは建築の“隠さない姿勢”が、視覚表現や思想に応用された結果とも言えます。
ブルータリズムは“世界の見方”として扱われつつある

現代では、ブルータリズムは建築ジャンルではなく、“態度・思想・美学”として捉えられることが増えています。
以下はその変化を簡潔にまとめた表です。
| 時代 | 主な分野 | 受け取られ方の特徴 |
|---|---|---|
| 1950–70s | 建築 | 構造の正直さ・素材の露出 |
| 1980–2000s | グラフィック | 粗さ・視覚的暴力としての引用 |
| 2010s | Web | 不親切・未完成・反テンプレ文化 |
| 2020s | 広範な文化領域 | 未完成の美学・思想として扱われる |
このように、ブルータリズムは徐々に“表現ジャンル”から“思想”へと拡張していると解釈されています。
特定の形式を超えた“態度”としてのブルータリズム
素材を隠さない・痛みを含んだまま提示する・整いすぎを避ける。これらの態度が、建築以外の分野でも“ブルータル”として理解される流れが強まっています。
映画や写真でもブルータルな読みが生まれている
近年では、映画の冷たい光・救われない構造・露出された感情などをブルータリズム的に読み解く批評も見られます。これは「建築以外では語ってはいけない」というより、美学としてブルータリズムが自然に広がった結果と言えます。
ブルータリズムの拡張は今も続いている

ブルータリズムは“定義が曖昧だからこそ”、さまざまな表現領域で新しい解釈が生まれ続けています。現代では、建築から始まった言葉がWeb・アート・思想・映画へと広がり、「未完成を肯定する視点」として理解されることが多くなっています。
この変化は“間違い”ではなく、文化が自然に獲得した新しい受け止め方として扱われています。
変化し続ける概念としてのブルータリズム
本来の定義にこだわるより、その時代の表現や価値観に合わせて意味が拡張されることは文化の常です。ブルータリズムもまた、その柔軟な性質を持っています。
現代的解釈は「流れの中にある一形態」
建築→視覚表現→Web→美学→思想へと広がった今の受け止め方は、あくまで“現代の理解”の一形態として扱われています。時代が変われば、また別の読み方が生まれる可能性があります。
【まとめ】ブルータリズムは建築から思想へ広がる柔らかな概念

ブルータリズムは建築運動として始まりましたが、時代とともにグラフィック、Web、アート、そして思想へと広がっていきました。現代では「未完成の美」「露出の美」「構造の誠実さ」といった視点で語られ、表現ジャンルを超えた柔軟な概念として扱われています。
この多層的な広がりこそが、ブルータリズムが今も魅力を持ち続ける理由です。
