日本のWebサイトを見ていると、**「待たされている」「見せつけられている」**と感じる瞬間があります。
スクロールのたびに発生する長いアニメーション、フェードインが終わるまで表示されないテキスト、意図的に遅らせられる情報提示。
本来、Webは自分のペースで読むためのメディアです。
それにもかかわらず、日本のサイトでは「読む速度」「見る順番」「立ち止まる場所」までもが、サイト側によって管理されています。
本記事では、主導権は誰が持っているのかという視点から、日本のWebサイトとブルータリズム的サイトを比較し、
なぜ前者はストレスを生み、後者は記憶に残るのかを、UI・情報設計・体験構造の観点で深掘りします。
日本のサイトが「主導権を握り続ける」構造

日本のWebサイトは、ユーザーに委ねる設計ではなく、誘導する設計が基本になっています。
それは親切心でもありますが、同時に強い圧力にもなります。
スクロール前提で組み立てられた情報の流れ
多くの日本のサイトは、最後までスクロールさせることを前提に作られています。
そのため、情報は縦に引き延ばされ、必要な要素が散在します。
- 一画面では結論に辿り着けない
- スクロールしないと判断材料が揃わない
- 途中離脱=失敗という前提構造
この設計では、ユーザーは「読む」よりも「追わされる」感覚になります。
主導権は常にサイト側にあり、ユーザーは受動的な存在に置かれます。
長く多いアニメーションが生む「待ち時間」
日本のサイトで特に強いストレスになるのが、アニメーションによる待ち時間です。
フェードイン、スライド、ズーム、遅延表示などが連続し、情報に辿り着くまでに時間がかかります。
| サイト側の意図 | ユーザーの体感 |
|---|---|
| 丁寧に見せたい | 早く読ませてほしい |
| 世界観を演出したい | 操作を奪われている |
| 注目させたい | 待たされて苛立つ |
アニメーションの速度を選べないという点が重要です。
見る側は「待つ」以外の選択肢がなく、見せつけられている感覚が生まれます。
圧が強いのに、なぜ最後まで見られないのか

日本のサイトは、情報量も熱量も高いにも関わらず、なぜか最後まで見たいと思えないケースが多くあります。
その原因は、情報の質ではなく体験の構造にあります。
「伝えたい」が先行しすぎた結果
日本の商業サイトでは、以下の要素が過剰に盛り込まれがちです。
- 実績の網羅
- 安心材料の積み上げ
- ストーリーの詳細説明
これら自体は悪くありません。
しかし問題は、すべてを順番通りに見せようとする姿勢です。
ユーザーの興味や理解度に関係なく、同じ速度・同じ順番で読ませようとします。
自由度の低さが生む無意識の離脱
ユーザーは意識的に「嫌だ」と思わなくても、
自由度が低い体験には自然と距離を取ります。
- 読む順番を選べない
- 見たいところだけ拾えない
- スキップできない演出がある
この状態が続くと、中身を評価する前に離脱が起こります。
「悪くないのに見たくない」という感覚は、ここから生まれます。
ブルータリズムが「主導権を投げる」理由

ブルータリズム的なWebサイトは、しばしば「不親切」「冷たい」と言われます。
しかしそれは、ユーザーに干渉しない設計であるがゆえの評価です。
見る・見ないを完全に委ねる設計
ブルータリズムのサイトでは、情報はただ置かれていることが多いです。
- スクロールを強制しない
- アニメーションがほぼない
- 説明しすぎない
ここでは、主導権は完全にユーザー側にあります。
見るかどうか、読むかどうか、理解するかどうかは、すべて個人の選択です。
意味がなくても成立する体験
ブルータリズムでは、
「見ても意味が分からない」「役に立たない」ことすら許容されます。
しかしその体験は、自分で選んで触れたものです。
だからこそ、理解できなかったとしても、記憶に残るのです。
主導権がユーザーにある体験は、なぜ記憶に残るのか

人は、自分で選択した体験ほど強く記憶します。
これはWeb体験でも同じです。
選択したという感覚が生む納得感
ブルータリズム的なサイトでは、
- 読んだのは自分
- 見なかったのも自分
- 理解しようとしたのも自分
という自己決定感が残ります。
この感覚は、体験の質を大きく引き上げます。
商業と自由の間にある現実的な視点
もちろん、日本のサイトが商業的である以上、
**「見せたい気持ち」**があるのは理解できます。
ただし、
圧が強く、自由度が低く、待ち時間が多いサイトは、
見せたい内容に辿り着く前に離脱されるという現実もあります。
【まとめ】主導権を誰に渡すかで体験は変わる

Webサイトの体験を決めるのは、デザインの派手さや情報量ではありません。
主導権が誰にあるかです。日本のサイトは丁寧さゆえに主導権を握りすぎ、ユーザーを疲れさせてしまう。一方でブルータリズムは、理解されなくても構わない代わりに、選択の自由を投げ渡します。
記憶に残るのは、常に自分で選んだ体験です。
