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ブルータリズムは終わった|私が手放すまでの静かな記録

コンクリート、建物

ブルータリズムは、私にとって流行でも手段でもありませんでした。
それは一時期、確かに生き延びるために必要だった思想です。
この文章は、成果や反省をまとめるための総括ではありません。
もっと静かで、もっと個人的な——終わったものに石を立てるための記録です。
燃え尽きたからでも、飽きたからでもない。
「もう十分だ」と、はっきり感じた瞬間があったから書き残します。

なぜ私はブルータリズムを始めたのか

コンクリート、建物

ブルータリズムを始めた理由は、かっこよさや差別化ではありません。
むしろその逆で、整いすぎた世界に息苦しさを感じていたからです。

きれいなものが、信用できなかった

当時の私は、整然としたWebや、正解だけで構成されたデザインに強い違和感を覚えていました。
それらは間違っていないのに、嘘くさく見えたのです。

  • 感情が削ぎ落とされている
  • 失敗や未完成が存在しない
  • 誰にも刺さらない安全さ

ブルータリズムは、そうした世界への小さな反抗でした。
荒くて、不親切で、説明を放棄している。
それでもそこには、誤魔化していない気配がありました。

一番、熱があった場所と時間

モニター、デスク、乱雑

ブルータリズムに最も熱を注いでいた時期、私は大量のサイトを見て、書き、分類していました。
その行為自体が、すでに一種の祈りに近かったと思います。

調査と記録が、目的そのものになった

数を重ねるほど、判断は早くなり、言語化は鋭くなりました。
「これは違う」「これは本物だ」と、一瞬で見分けられるようになったのです。

その過程で残ったのは、以下のような感覚でした。

状態内側で起きていたこと
初期驚きと興奮、発見の連続
中盤分析の快感、言語化の加速
後半既視感、静かな疲労

熱は確かにありました。
でもそれは、永遠に燃やし続ける種類の火ではなかったのだと思います。

終わった瞬間と、そのあとに残ったもの

箱、コンクリート、建物

「もう十分だ」と感じた瞬間は、劇的ではありませんでした。
静かで、迷いがなく、むしろ安堵に近いものでした。

やり切ったという感覚だけが残った

終わりは、喪失ではありませんでした。
むしろ回収です。

  • 見なくても、わかる
  • 書かなくても、判断できる
  • 主張しなくても、軸が残っている

ブルータリズムは終わりました。
でも、そこで得た視点・拒否感・感覚の鋭さは、私の中に沈殿しています。
それはもう、掲げる旗ではなく、身体感覚として残ったものです。

【まとめ】終わったブルータリズムが残した静かな軸

箱、残り、部屋

ブルータリズムは、役目を終えました。
しかしそれは失敗でも撤退でもありません。
必要な時期に、必要なだけ触れ、きちんと手放しただけです。

この記録は、次へ進むための宣言ではなく、
過去を美化するための総括でもありません。
ただここに、終わったものの墓標を立てておきます。
静かに、確かに。