ブルータリズムは、なぜ無骨に見えるのか

ブルータリズムWebサイトを見ていると、よく「無骨」という言葉が浮かびます。

飾り気がない。冷たい。荒っぽい。場合によっては、まだ作りかけのようにさえ見える。

でも、ブルータリズムは必ずしも白黒ではありません。

強烈な色を使うサイトもあれば、巨大な文字や画像が画面を埋め尽くすサイトもあります。

それなのに、なぜ私はそこに「無骨さ」を感じるのでしょうか。

今回は色や装飾の量だけでは説明できない、ブルータリズムWebデザインの無骨さがどこから生まれるのかを考えます。

「無骨」は、地味という意味ではない

無骨と聞くと、モノクロで装飾が少なく、静かなデザインを想像するかもしれません。

しかし、ブルータリズムを見ていると、それだけでは説明できません。

派手なのに無骨なサイトがある

原色を使う。

文字を巨大にする。

画像を大量に並べる。

画面いっぱいに情報を詰め込む。

これだけ聞けば、むしろ派手なWebデザインです。

それでもブルータリズムでは、そこに無骨さを感じることがあります。

つまり、無骨さは「何色を使ったか」「どれだけ装飾したか」だけでは決まらないのでしょう。

重要なのは、その要素がどのように扱われているかです。

色をきれいに馴染ませるのではなく、そのまま置く。

文字を美しく収めるのではなく、大きな文字としてぶつける。

画像も、丁寧に飾って見せるとは限らない。

素材を加工して馴染ませるより、素材そのものの存在を強く残す。

ここに、ブルータリズムの無骨さを考える最初の手がかりがありそうです。

「剥き出し」が無骨さを作る

ブルータリズムという言葉の背景には、建築のブルータリズムがあります。

そこで重要だった考え方のひとつが、素材や構造を必要以上に隠さないことでした。

Webでも、それに似た感覚があります。

Webの素材を隠さない

リンクはリンクらしい。

文字は文字として置かれている。

枠線は枠線。

画像は画像。

一般的なWebデザインでは、それらを組み合わせ、馴染ませ、ひとつの洗練された画面へ仕上げていきます。

一方、ブルータリズムでは、Webを構成している部品の存在がそのまま見えることがあります。

ブラウザの初期状態を思わせるリンク。

単純な枠線。

システムフォント。

装飾されていないボタン。

グリッドや領域そのものが見えるレイアウト。

もちろん、ブルータリズムだからCSSを使わないという話ではありません。

かなり複雑に設計されたサイトでも、最終的な表現として「加工されていないように見せる」ことはできます。

無骨さとは、技術を使っていないことではなく、仕上げによって素材の存在を消しすぎないことなのかもしれません。

整えすぎないことで残るもの

Webデザインでは、揃えることが基本です。

余白を揃える。

文字サイズに規則を作る。

グリッドへ収める。

情報に階層をつける。

どれも、情報を理解しやすくするための大切な方法です。

ブルータリズムは、そのルールを必ず否定するわけではありません。

ただ、ときどき整えることを途中でやめたような場所があります。

きれいに収めない

文字が大きすぎる。

余白の量が揃っていない。

画像が妙な場所にある。

要素同士がぶつかる。

画面からはみ出す。

一般的なWebデザインなら修正したくなる部分を、そのまま表現として残すことがあります。

そこで生まれるのが、完成された製品というより、構造物をそのまま見ているような感覚です。

ただし、単純に配置が崩れていればブルータリズムになるわけではありません。

意図的な不揃いと、ただ整理されていない状態は同じではない。

ブルータリズムの無骨さは、「整える能力がない」ことではなく、どこまで整えるかを選んだ結果として現れるものだと思います。

無愛想であることも、無骨さの一部

見た目だけではなく、サイトの振る舞いにも無骨さを感じることがあります。

ブルータリズムWebサイトは、ときどき驚くほど説明してくれません。

Webサイトがしゃべりすぎない

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一般的なWebサイトには、閲覧者が迷わないための案内がたくさんあります。

もちろん、それは必要なものです。

でもブルータリズムでは、その案内を最小限にしているサイトがあります。

情報や作品だけを置いて、

「ここにあります。見たかったらどうぞ。」

それ以上は言わない。

私は、この距離感にも無骨さを感じます。

ただし、説明しないことと、操作できないことは別です。

何も説明されなくても見れば分かるなら、それは成立します。

逆に、見たいのに操作方法が分からないのであれば、単なる不親切になることもあります。

愛想がないことと、気が利かないことは同じではありません。

ブルータリズムの無骨さは、閲覧者を無視することではなく、必要以上に話しかけないことにも現れるのかもしれません。

【まとめ】無骨さは、飾らないことだけではない

ブルータリズムが無骨に見える理由を考えてみると、単純に「装飾が少ないから」では説明できませんでした。

派手な色を使っていても無骨に見える。

巨大な文字を使っていても無骨に見える。

画像だらけでも無骨に見える。

そこに共通しているのは、素材や構造を必要以上に馴染ませないことです。

文字を文字のまま置く。

線を線のまま見せる。

構造を隠しすぎない。

すべてをきれいに収めない。

そして、ときには閲覧者にも必要以上に話しかけない。

だからブルータリズムの無骨さは、「何もしていない」結果ではありません。

むしろ、

どこまで仕上げて、どこから先を仕上げないのか。

その選択によって作られているのだと思います。

きれいにすることはできる。

親切に説明することもできる。

整えることもできる。

それでも、あえて残す。

ブルータリズムの無骨さとは、未完成なのではなく、剥き出しのまま完成させることなのかもしれません。

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