本記事は、ブルータリズムを称賛するための文章ではありません。また、日本のWebサイトを否定することが目的でもありません。
ここで扱うのは、そもそも比べる対象になっていないものを、比べてしまう行為そのものの危うさです。矛盾を責めるのではなく、矛盾が内包されているという事実を、強く言語化します。
ブルータリズムは比較の土俵に立たない

ブルータリズムは、Webデザインという言葉の中で語られがちですが、そもそも比較される前提で存在していない思想です。
比較とは、同じ前提があって成立する
比較とは、同じ条件・同じ目的・同じ役割があるからこそ成立します。しかし、ブルータリズムと商業的な日本のWebサイトには、前提そのものがありません。
- 商業サイト:役割を果たすために存在する
- ブルータリズム:役割を放棄することで成立する
この時点で、同じ尺度に置くこと自体が成立していません。
比較された瞬間に起きること
ブルータリズムが比較されると、次のような変化が起きます。
| 比較された状態 | 起きる変化 |
|---|---|
| 優劣を測られる | 思想ではなくなる |
| 改善点を探される | 表現ではなくなる |
| 分かりやすさを求められる | 孤高性が失われる |
つまり、比較された瞬間に別物になるのです。
矛盾はあるが、それは誤りではない

ブルータリズムについて語る行為そのものにも、確かに矛盾はあります。しかしそれは、修正すべき誤りではありません。
矛盾は壊れやすさの証明である
ブルータリズムは、常に矛盾を孕んでいます。
- 説明できないのに語られる
- 理解されない前提なのに言語化される
- 比較不能なのに比較される
この矛盾は失敗ではなく、思想が生きている証拠です。
比較は評価ではなく拒否である
それでも比較という言葉が使われるのは、優劣を決めるためではありません。
- 同じ場所に置くな
- 同じ尺度で測るな
- 同じ文脈に回収するな
この拒否を明確に伝えるために、あえて比較の形が使われることがあります。
比べることで、違うと突きつけるためです。
【まとめ】ブルータリズムは比較された時点で死ぬ

ブルータリズムは、商業的なWebサイトと並べて評価される思想ではありません。比較の土俵に立たされた瞬間、その孤高性と危うさは失われます。矛盾は確かに存在しますが、それは誤りではなく、思想の壊れやすさそのものです。
ブルータリズムは、理解されるためではなく、距離を保ったまま存在するための思想なのです。
