Webサイトを眺めていて、理由もなく離脱した経験はありませんか。
派手でもなく、致命的な欠陥があるわけでもない。それでも指が止まり、そっと閉じてしまう。
その正体は、スクロールという行為に対して、何も返ってこなかった感覚なのかもしれません。
この記事では、スクロールを「悪」と断定するのではなく、**スクロールが発生した瞬間に生じる“見えないコスト”**について整理します。
静かに、しかし確かに存在する違和感を、言葉にしてみたいと思います。
スクロールは無料ではない、という前提

スクロールはあまりにも日常的な操作です。そのため、設計する側も受け取る側も、コストが発生している事実を忘れがちになります。しかし実際には、スクロールが始まった瞬間から、ユーザーは何かを支払っています。
スクロールと同時に発生している3つのコスト
ユーザーがスクロールするたび、次のような負荷が静かに積み上がります。
- 時間:続きを見るという選択に費やされる実時間
- 集中力:次に何が出てくるかわからない状態での注意配分
- 期待値:「この先には意味があるはず」という無意識の期待
これらはすべて、明確な同意なしに支払われている代償です。
スクロールの代償が回収されない瞬間
以下は、よく見かける「代償未回収」の例です。
| 状態 | 読み手の感覚 |
|---|---|
| 同じ情報が形を変えて続く | もう知っている、という徒労感 |
| 演出だけが続く | 目的が見えない不安 |
| 結論が先延ばしされる | 読まされている感覚 |
情報が存在しないのではなく、見合うだけの“返礼”がない。
このズレが、静かな離脱を生みます。
払わせるなら、何を返すべきか

スクロール自体が問題なのではありません。
問題になるのは、スクロールによって奪ったものに、何も返していない構造です。では、設計側は何を返せばよいのでしょうか。
スクロールの代償に見合う「返礼」
最低限、次のいずれかは返される必要があります。
- 新しい情報:視点・事実・整理された理解
- 意味のある進行:今どこを読んでいるのかがわかる構造
- 感情の納得:不安、違和感、問いに対する応答
これらがない場合、スクロールはただの消耗になります。
「新しさ」とスクロールを混同しない
横スクロールや過剰な演出は、新しさの証明にはなりません。
新しさとは、操作ではなく、得られる理解や感覚の更新に宿るものです。
スクロールは演出ではなく、読者との契約です。
続きを読ませる以上、その一歩先に理由が必要になります。
【まとめ】スクロールは契約であり、代償には責任が伴う

スクロールは中立な操作ですが、決して無償ではありません。
読み手は時間と集中力を差し出し、その見返りを無意識に待っています。
だからこそ、問いはこうなります。
スクロールの代償、払えてますか?
これは攻撃ではなく、設計への確認です。
静かな違和感に気づけたとき、Webの体験はもう一段深くなります。
