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ブルータリズムは誰のための思想だったのか

砂漠、ランドスケープ

ブルータリズムについて語るとき、
「ユーザー体験に向いていない」
「自己満足の表現だ」
という評価がよく出てきます。

しかし、それらの評価はすべて、
**「誰のための思想だったのか」**という問いを、
後付けで当てはめているにすぎません。

本記事では、
ブルータリズムが誰のために存在していたのかを、
ユーザー/作り手/思想そのもの、
この三つの視点から整理します。

ブルータリズムはユーザーのための思想だったのか

デジタル、もや

まず考えられるのは、ユーザーのための思想だったのか、という視点です。
Webデザインにおいて、ユーザーは常に中心に置かれてきました。

ユーザー最優先の思想とは明確にズレている

ユーザー中心設計が目指すものは、明確です。

  • 迷わない
  • 不安にならない
  • 素早く目的に到達できる

これは配慮と合意の思想です。

一方ブルータリズムは、

  • 読みにくさを残す
  • 不安や違和感を消さない
  • 目的達成を急がせない

という選択をします。

つまりブルータリズムは、
ユーザーのために最適化された思想ではなかった
これは欠陥ではなく、前提の違いです。

では作り手のための思想だったのか

建造物、暗い

次に浮かぶのが、
「作り手の自己表現だったのではないか」という問いです。

作り手中心だが、自己満足とも違う

確かにブルータリズムは、

  • 作り手の判断が強く出る
  • 説明を省く
  • 妥協しない

という特徴を持っています。

しかしそれは、
気持ちよくなるための表現とは少し違います。

  • 評価されにくい
  • 誤解されやすい
  • 続かない

これらを引き受けた上で選ばれている。
つまり、作り手にとっても楽な思想ではない

ブルータリズムは、
作り手のためでありながら、
作り手を守る思想でもありませんでした。

誰のためでもなかった思想という可能性

円、構造物

最後に残るのが、
「誰のためでもなかった」という可能性です。

目的よりも「在り方」を優先した思想

ブルータリズムは、

  • 喜ばせること
  • 売ること
  • 分かってもらうこと

を第一目的にしていません。

ただ、
そう在ることを選んだ

視点一致度
ユーザー低い
作り手限定的
思想そのもの高い

ブルータリズムは、
誰かのためではなく、
思想として成立するために存在していた

だからこそ、
続かず、広がらず、
それでも確かに存在しました。

【まとめ】ブルータリズムは「誰のためでもなかった」

ランドスケープ、崩壊

ブルータリズムは、

  • ユーザーのためでもなく
  • 作り手のためだけでもなく
  • 成果のためでもない

思想でした。

誰の期待にも完全には応えない。
だからこそ、
どこにも回収されず、
終焉と最も相性がよかった

ブルータリズムは、
誰のためでもなかったからこそ、成立した思想だったのです。